高嶺べる

上手く書けるように頑張ります。

愛と欲にまみれた15の夜

「おい、戻ってこい。だめだ。行くな」

と深夜1:00にタクシーに乗る中学生くらいの少女に向けて男は言う。

 

「や~だよ~!ばいば~い!」

とその少女は男に陽気に手を振り、タクシーの扉が閉まる。

 

男は児童養護施設の職員と少女はその施設に入ってる高校一年生の女の子だった。

 

少女の向かう先は歌舞伎町。

 

こんな時間に15歳の少女がタクシーを使い歌舞伎町へ向かう、異常な光景だ。

 

そんな異常すぎる少女の人生記録を残していく。

 

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ご挨拶

初めまして。私は高峰べる(たかみねべる)です。

この時代にブログをはじめるなんて、、、と思う方もいるでしょう。

しかしこのブログは、誰かに見てもらうためではなく単に私の趣味です。

 

ここではある少女の実際にあったお話を紹介していきたいと思います。

もともと中学の時は生徒会副会長を務めるほど真面目であった彼女がなぜ15にして歌舞伎町へ入り浸ってしまったのか。

 

歌舞伎町の闇と、きっと誰しもが気づかぬうちに踏み入れてしまうであろう出来事をつづっています。

 

ここからは少女の視点から物語が展開していきます。

小説感覚でぜひ最後まで読んでみてください。

 

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人物紹介

真昼(主人公)

高校一年生 15歳 中二から児童養護施設 15歳から歌舞伎町で遊び歩く

わたる

歌舞伎町のバー店員 真昼が恋心を寄せている

 

施設の職員

真昼が中二の時から入っている施設の職員

 

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すべてが間違いだった

私の名前は真昼。

私が歌舞伎町という町に踏み入れたのは今から三年前。高校一年の夏15歳だった。

思えば、歌舞伎町に足を踏み入れた時点で間違いだったのであろう。

でなければ体を売るなんてこと、歌舞伎に染まる以前の私には考えられなかったことだ。水商売自体考えられなかった。

 

とある事情で児童養護施設に中二から入った私は、今まで自由に生活していた分施設の規則の厳しさに耐えられなくなっていた。

 

高校に上がると中学生の時よりも少し自由が増えて、規則に耐えられなくなった私はたかが外れたように遊びまくっていた。

 

最初は門限を破る程度だったが歌舞伎町に入り浸るようになってから、朝まで飲み歩いたり夜中にタクシーを使って好きな人のお店に会いに行っていた。

 

その時の私は15歳。この時代15歳を雇ってくれる風俗なんてものはない。

その当時私が収入源としていたのは援デリであった。

 

援デリとはTwitterや出会い系サイトなどで男の人が女の子になりすまして集客をし、メッセージでやり取りした場所に女の子が行き援助交際をすることだ。

 

援助交際とデリヘルを掛け合わせて、援デリと言われていた。

 

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終わりの始まり

最初私は歌舞伎町を全く知らない人間であった。

歌舞伎に行ってもどうやって遊べばいいのかわからない。ホストに行くにも身分証を出せないから入れないなどの理由からいつもふらふらと夜の街を歩くだけだった。

 

知らない世界、キラキラしてて同級生の子は歌舞伎町で遊んではないし私だけ一人大人になったかのよう。そんな高揚感に身を包まれながら町を徘徊しては、早く経験を積みたいという思いからナンパしてきた人と見た目関係なく性行為をしていた。

 

 

三年前の九月。いつも通り町を徘徊してホテルを出て歩いていた。

朝方。おそらく4:30頃だったと思う。見た目20代後半の細身の男から声をかけられた。

「お姉さん、バー行きませんか」と。キャッチだった。

身分証を出せない私は「身分証今日忘れちゃって」というと

男は「身分証なくても入れるバーあるよ」といわれ、歌舞伎町のお店に一度も入ったことがなかった私は興味がわき紹介されたバーへ入っていった。

 

バーといえど、銀座や麻布十番にあるようなおしゃれなバーではない。

イメージとして近いのは、ホストであろう。担当者が隣で座って接客をし、場所によってはその月の売り上げでナンバーという順位争いがある。

 

そこで出会ったバー店員さんに惹かれ、それがきっかけとなり援デリの道へと進んだ。

 

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たった一人の男のために

そこで出会ったイケメンのバー店員、名前はわたる。

恋愛経験も少なかった私はわたるのことを出会って二ヵ月で好きになっていた。

最初は楽しくてお店に通っていたし、援デリなんかやっていなかった。

 

事の始まりは10月下旬。お店に通い始めてからひと月くらいのことだ。

ハロウィン限定のシャンパンをねだられ、お金が足りず断っていた。しかし、わたるに「掛けでいいよ」と言われ酔った勢いに身を任せて下ろしてしまった。

 

掛けとは、その日に足りなかった分を翌月の期日までにあと払いができるシステムだ。

わかりやすく言うとつけ払いだ。

 

来月ならバイト代はいるしいいかと思っていたが当時15の私には金額が高く焦っていた。

Twitterで知り合った歌舞伎のスカウトマン(風俗やキャバクラを紹介してくれる人)にそのことを相談すると、援デリのことを提案された。

 

正直お金に困っていたし、だれとでも無料でしていた当時の私には「今までのことがお金になるんだ!いいじゃん!」としか思っていなく即答でOKを出したのだ。

 

そのおかげで無事掛けも返せて気が楽になっていた。

そしてそれで稼げると知ってしまった私は、掛けを返した後ももっと豪快に遊びたくバイトをやめて高校もいかなくなり、援デリ一本で生計を立てていた。

 

私の想像していたキラキラ青春の高校生活ではなかったため、お金さえあればかっこいい人と飲めて盛り上げてくれる。そんな空間が楽しくて、高校生活よりも刺激的で楽しくてやめられなかった。

 

毎日体を売っては稼いで、使って、また稼いで使って。そんなことをずっと繰り返していた。

シャンパンを下すと彼が嬉しそうにしてくれる。隣にいてくれる時間が長くなる。私を必要としてくれる。というバカな考えに、頭はすっかり歌舞伎脳で侵されていった。

 

 

たった一人の男のために、たった一人の笑顔のために、たった一人と少しでも一緒にいたい。そんな思いでずっとずっとあふれていた。

 

ただの15歳の少女の純粋な恋心だった。

 

この人と一緒にいられるなら、だれが何と言おうが何と思われようがどうだっていいとすら思うほど周りが見えなくなっていた。

 

施設の職員に止められても押しのけ毎日のように通っていた。

 

そのくらい大好きで仕方がなかった。自分がどうなろうとも一緒にいられるなら体を売ることなんて簡単だった。

 

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居場所

施設の職員にたびたび呼び出されては、話をすることも何度かあった。

施設に帰っても当然職員からは冷たい視線と態度を向けられる。

 

こんな私でも一応ほぼ毎日施設には帰っていた。

だからほぼ毎日職員からは冷たい目を向けられる。

 

幸い、同じ施設の子たちは私のことを好きでいてくれたからそれだけが救いだった。

 

しかし、職員から受ける冷たい目がとてもプレッシャーで辛く「私の居場所はもう歌舞伎町しかないんだ、、。」そう思ってしまっていた。

 

当時の私には二つのプレッシャーがあった。

一つは施設の職員のこと、二つはわたるのこと。

お金を稼げなければ、わたるとは一緒にいられない、他の女の子のところに行くなんて嫌だ。というプレッシャーであった。

 

体を売っていることにも自己嫌悪があったためプレッシャーと共に、よく自分を責めたりもしていた。

 

そんな15の私には大きすぎる思いに押しつぶされ、時には酔っぱらって感情が爆発し泣き出してしまうこともあった。

 

 

泣いてしまったとき一日中わたるがそばにいてくれて、起きた時も頭をなでて慰めてくれた。それにより、私の居場所はここしかないと強く思っていた。

 

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歌舞伎の女

初めて友達ができた。

同じお店に通ってる女の子だった。

名前はかのん 21歳。

 

後にその女の子が悲劇をもたらす存在になるとは微塵も思っていなかった。

まさかあんなことになるなんて。

 

 

 

続きは次のブログで・・・。

またお会いしましょう。